2017年12月13日 第2回 対談
岡本 卓也氏(OKamoto Takuya)
1980年長野生まれ
日本にとどまらず世界にもフィールドを広げて幅広く活動するフリーランスのカメラマン。
ファッション、ビューティー、広告、カタログ、CDジャケットなどが中心。
日本広告写真家協会会員
何年ぶりかに向き合った彼は、とてつもなく人を魅了し、作品のどこかに「らしさ」を含む独自な世界観を表現する世界で活躍するカメラマンになっていた。
それでも昔と変わらない謙虚な言葉を選びながら、積み重ねた経験と過去、いま感じる想いをお互いの年月を振り返りながらひとつひとつ飾らず丁寧に伝えてくれた。
エキサイティングでファンタスティックな彼の作品はこうして生み出される。
美容師の言うことや感じることは十人十色
その中でその人の持つ感性を読み取ることをとても大事にしている
その中で岡本さんが大切にしている事やこれだけは気をつけている事はありますか?
ほんとにもう色々で、美容師の言う事が十人十色でバラバラ。
例えば、同じモデルさんを見て1人の美容師は「すごく良い」と言う。
だけど、もう一人の美容師は「いや。ちょっと違うね」と言う。感性が人それぞれだから。
だから、この美容師は「どういうのを以って良いのかな?」というのを常に考えている。
その人の感性・・・良いと思う世界はどんなものなのか?何を求めているのか?を常に考え追及してる。
そして、そのクライアントが求めているもの以上の物を提供するって事に努めてるかな。
それを技術を通して彼らが表現する事が主にはなるけれど、
それを自分のカメラワークでより最高のものにしようとする心意気を持っているという事ですか?
「岡本さんに撮られるのは緊張する。」という美容師の声もありますよね。
撮っているうちに「もっとこうした方が良い。こうすると更に引き立つ。」という事が、
岡本さんの中で出てきた場合、そんな時はどうするんですか?
打ち合わせや仕込みの段階では結構言えるし、やっぱり言うべきことは言うようにしてる。
もちろん、その人の作品を傷つけるような事は言わない。
あくまで、その作品を尊重した上で、さらに良くするために。
美容師に多いのは、ファッションを見れていない人がわりと多い。
ファッションとヘアメイクが合っているのかどうか?
そのモデルさんの個性はその作品と合っているのかどうか?ってこと。
たとえば「こんなおとなしめの彼女がこんな奇抜なヘアをするわけがない。」
という根本的な所での指摘やアドバイスはするかな。
美容師のやりたい事だけが先行してしまうって感覚かな。
ほんと、ダサいのが作り手の考えが出ちゃうのが良くないと俺は思う。
美容師のやりたいことがモデルに合ってなくて、美容師の想いだけが主人公になってしまってるイメージ?
背伸びしている感が良くない。
無理やり感や違和感があるもの・・・
一瞬パッと見て可愛いけど、良く見ると服のデザインがダサくて素材が安っぽくて・・・みたいな?
難しいけどね。
最終、写っているものが全てだと思う。
カメラマンがいくら頑張って色味を変えて光の調整をしても、
写っている被写体が全て。
俺はそう思う。
けれど生駒山は誰が撮っても生駒山。
生駒山が悪いわけじゃないし、撮りようによってはかっこ良くもなるけれど・・って感じ(笑)
富士山ってだけで、色々な人が撮ったものを見ても「おー富士山!」ってなるけれど、
生駒山をそのレベルで撮ろうと思うと、かなり頑張らないとって思うよね。
だから俺は富士山級の被写体を撮りたいなと思う。
それは、なかなか自分だけが頑張れる事じゃなく、
質の良いモデルにクオリティの高いヘアメイクやファッションをまとうってことが大きいから、
カメラマンだけが頑張れることじゃないって思う。
クライアントとの感性や技術なんかのギャップなんかでもどかしさもある中で自分のセンスを出して撮ろうとする。
それって、自分がやりたいって事よりもクライアントがしたい事をどう写し出すか?って事に結局なるように思うんだけども。
例えば、カメラが好きな人って自分の撮りたいものを好きなように撮るよね?
けれど、仕事として受けるとなると撮りたいものは選べないよね?
その中で実力を発揮しないといけない。
被写体に対してもある程度、口を出すにも限界があるとしたら、その中で実力を発揮しないといけない。
言わばそれがプロとして求められるって感じるけども・・・
けど、カメラマンってほんと多種多様で、カメラマンとひとくくりに言っても、関わる被写体や関わる分野によって全然違う。
例えば俺らは人物撮影の中で美容を大半やっているから、それにまつわる知識は必要になる。
「モデルを小顔に見せるにはどうすれば良いか?」
「髪の質感をどうしたら綺麗に見せられるか?」
そういったことで使う機材も全て変わる。
それをF1レースを撮っているカメラマンに撮れというと、撮れない。
もちろん俺もF1レースをかっこよく撮るなんて難しいし、水中カメラマンは、カメラの知識より、スキューバダイビングや魚の知識も必要になる。
何を撮るかで必要な機材や知識や技術は全て変わる。
そういう世界だから。
カメラマンというのは、必ずしも一本線ではない仕事なんよね。
ところで岡本さんがその美容に特化した人物像を撮ろうと決めたきっかけ・・・
その前にそもそも「カメラマンになろうと思ったきっかけ」とかも聞いてみたいです。
ってか、俺らいつ位に出会ったのかな?
かなり若かったよね。
俺が・・・18、9歳位かな(笑)
そういえば、初めて一緒に作品撮りしたあの作品よくデータ残ってたねー(笑)
なかなかあんな写真見れないよな。
やってることが危険!(笑)
しかも、誰も止めない!
すごいよー。
しかし、あの時のこと、お互いよく覚えてたよね。
作品の撮り方もやっぱり今と少し違うな。
岡本さんが焼いてくれる写真が楽しみで仕方なかった!
あの時代はフィルムやったね。
それ初心を思い出させてくれるなー。
写真をやり出したきっかけは・・・
高校で当時、俺は体格が良かったから、ラグビー部の勧誘があってそれを断るために写真部に入った!(笑)
けど、それも、たまたまじゃなく祖父も叔父もカメラマンだったのもあって。
当初、自分は理系を専攻していて、ちょうど写真部の顧問の先生がその理系の先生だったわけ。
先生が「岡本はおじいちゃんもカメラマンだから写真部に入りなさい。」みたいな流れで(笑)
祖父に言うと、喜んで一眼レフを買ってくれた。
それが、俺のファーストカメラ!
その時代の始まりが全て今の縁に必然的につながってきた感じやね。
そこから色々撮るようになって、知識もないままだったけど、カメラ雑誌にコンテストがあって「出してみよう!」って。
初めて出した作品が佳作に選ばれて・・・
そこから味をしめて(笑)
そこから色々なコンテストに出るようになって・・・
カメラに夢中になり出してきた頃かな。
写真っておもろいなって。
その時は風景が主で。
写真部の先生が撮り方を教えてくれたり、紙焼きや現像の仕方から教えてもらったな。
高校の時はコンテスト荒らしだったよ。
カメラ雑誌はいくつもあるんだけど、毎月、色んな賞にも入るようになって、
高校の時に「岡本卓也」って名前が知られるようになってきたよね(笑)
もう学生時代から名前が知られるようになってきたんやね。
その時どんな気持ちでしたか?
ちょっとプチ有名人的になるよね(笑)
それで小遣い稼ぎしながら(笑)
実際、写真もだんだん面白くなってきて。
ほら、コンテストって審査員の好みによって結果が変わるやん?
この人はこういう作品がウケるとか、そういうのも狙いながらトライしてたかな。
当時、毎月連載していたカメラマンが「魚住誠一」って方で、その人が最初の自分の人生の転機になった人。
魚住氏はファッションを撮る人だった。
中学や高校でファッション誌なんかは見たことがなくて、初めて彼の作品を見た時 「かっこいい!」ってほんと衝撃を受けたね。
中学や高校でファッション誌なんかは見たことがなくて、
彼の作品を初めて見たとき「かっこいい!」って衝撃を受けたね
「おお!憧れのカメラマンが俺のことを知ってくれてる!」って。
嬉しかったね。
その年に選ばれた「最優秀カメラマン大賞」を受賞したのをきっかけで俺はプロのカメラマンになろうって決めた。
で、東京に行って「魚住氏」にも会って・・・
「あなたの写真が好きです」ってことも伝えてね。
その後アシスタントにも入らせてもらって。
その頃、モデルさんを撮るって事が今までなかったから、すごくおどおどしながら撮ってたなー。
その時に音楽ジャケットなんかもされてて、それが今のしたい仕事にも繋がってる・・・そんな気もする。
・・・気がするレベル?(笑)
確実に繋がってますね。
それは高校生時代よね?
そこまでチャレンジし続けて、すでに写真一筋になりつつある中で、
その後の進路はどうしたんですか?
進学校だったけど、そういう道には進まないと決めて、
写真をしたいから大阪芸大の写真学科に進む事にしたね。
そこから人物像ばっかり撮り続けた。
それで俺は人物を撮るカメラマンになろう!って決めた。
学生の頃からそこまで突き進んできた背景には「魚住氏」との出会いがあって、
それが今の道筋に近づいたきっかけって事やね。
まさしく人生に影響を与えてくれるのはやっぱり人との出会いって実感するね。
大学では舞台芸術学科の学生で女優を目指す子やダンサーをしてる子もいてて、
みんな綺麗だから(笑)
そこの棟の前に張り込んで練習で撮らせてもらった。
もちろん俺はヘアメイクできないから、女の子に自分でヘアメイクを「もう少しこうして。」とかお願いしてね。
最初はやっぱり憧れるのが『モード』な感じやん?
かっこいい系。
クールに撮りたいなって。
それを意識しだしたね。
分かる気がする。
そこから自分の世界観はどう変化していったんですか?
色々な写真を見るたびに変化していったかな。
当時、自分で現像するのが流行ってて、モノクロは割としてる人多かったんだけど、カラーを自分で現像している人が少なかった。
けれど、そのころ自分が好きなカメラマンの写真を見ると、みんな自分で現像してたから、「俺も自分でしよう!」って。
家に暗室を作ってやり始めた。
そのころの写真がMIKAさんとの撮影やね(笑)
あの頃、それが楽しくて。
「もう少し、ここに青みを入れるとこうなるよ。」とか、岡本さんがアドバイスしてくれて広がる写真の世界観が素敵で。
今そうやってやれるカメラマンって、もうあんまりいないかもね。
デジタル化して機材も変わって時代は変化してるもんね。
モノクロは多いかもしれないけど、カラーを焼く人は少なかったしね。
そういうのも全部「魚住氏」に教えてもらったよ。
全然、仕事じゃなくて作品撮りって段階だけど。
そうこうしている間に、やっぱりプロのヘアメイクさんと撮りたくなってくるんよね。
「その辺に歩いている子とかじゃなく、もっとかっこいいヘアメイクをしているモデルさんを撮りたい!」って。
ちょうどその頃に新しい出会いがあったんよね。
写真学科の掲示板にあった手書きの張り紙
「カメラマン募集。美容のコンテストに向けた作品撮りのためギャラは出せません。
フィルムと現像代。あと飯代くらいは・・・」(笑)
パートナーとして良いんじゃない?って、直感で「即、会いましょう!」ってなったね。
それが、有働さんとの出会い。
そのころ彼は髪が白くてロン毛でテンガロンハットを被ってて・・・
美容師ってこんなんなんや!っと(笑)
それから初めて会った有働さんとチャリンコ2人乗りして、『巴里園』っていう老舗の喫茶店で、
持って来てくれた業界雑誌を長時間二人で見て、これから挑戦したい作品や方向性について沢山話をした。
そこからすぐに始まったね。
次の日に俺が急にお店に押しかけて撮影しようや~って感じ(笑)
ほんと驚きです。
手書きの張り紙とかハットとか・・・想像出来てしまう(笑)
それにすごいスピード感。
次の日からいきなり作品撮りがスタートしたって事ね?
まさに導かれたという感じね。
そこから頻繁に作品撮りをするようになって・・・。
たくさん撮ってもフィルム代は出してくれるし・・・(笑)
おおいに撮りまくった。
有働さんとは最初から初対面って感じがしなかったね。
・・・ほんと導かれたって感じかな。
当時ファッションは撮りたかったけど、美容の作品ってのはなかった。
けど今のクリエイションなんかを撮るきっかけになったね。
1枚の紙きれからね(笑)
そこから紹介なんかが広がってディーラーさんの撮影会が企画されて呼ばれたり・・・
そこから武ちゃんと一緒に撮影する事が多かったけど、やっぱり業界が盛り上がった時代だったね。
コンテストも充実してきて。
そのとき岡本さん自身は学生ではあったけれど、
そういった動きや流れは自分にとって良いモチベーションになっていたんですか?
当時、大学二年生で、これなら大学卒業しなくても良いんじゃないか?って思うようになって。
カメラマンの専門分野以外の一般教養の授業には全く出なくなってて、いち早くプロのカメラマンになりたいのに!っていう感情もあって。
きっとあのころ尖がってたんやろね。
このまま行ったるで!みたいな(笑)
それで芸大を中退した訳やね。
そこから実際その業界に入ってみて、イメージ通りにいきましたか?
何かギャップや思い描いていた理想と現実との違いはありましたか?
いま思えば芸大をちゃんと卒業してても良かったのかなと感じた。
大学は設備も整っているから、普通はさわれない機材を試したり学べる事も多かっただろうし。
ちょっと急ぎすぎたかなって感じる事はあった。
もっと学べる事もあったんだろうなと。
ただ社会に出て学ぶこともあると思ってた。
大学にいると時間がゆっくりで、お昼をのんびり食べたりダンスしてたり、なんか空気が緩いっていうか。
俺はそののんびりした感じから抜け出したくなくなって辞めたわけだけど、辞めたことを後悔した時期が一度だけあったかな。
一瞬だけ・・・。
早くあたたかい環境から抜け出してカメラマンとして飛び出したいって気持ちが先だったんやね。
けれど大学に行ったからこそ出会えた人もいて、
カメラマンという道に進むきっかけを掴めたのも大学に進んでたからやもんね。
けどもう進むしかないから、「同級生が就職したときの初任給を超える年収になろう」っていうのを目標にやってた。
それは一応達成したよ!
ちょっとやらしい話かな(笑)
今まで積み重ねたことが正しかったのか否か?
指標を図るには数字は絶対よね。
嫌なことはけっこう忘れるタイプだけど(笑)
知識もないまま手探りで仕事をしてきた。
お金を頂いてプロとして撮るわけだから問題や障害はあったな。
他のカメラマンの仕事を見られる機会がなくて。
他の人がどんなスタンスでモデルを撮ってるのか、どんな機材を集めれたら良いのか?
美容の事もモデルさんに何と言ってあげたらいいのか?
美容師が言う「アッシュ」って色味も何のこと?っていうような事が沢山あって。
当時、今と違ってすぐに撮ったものを確認できないって問題があったから、できあがってから「ごめんなさい」って仕事も当初は多くて。
でも、嫌な事はすぐに忘れるから(笑)
やっぱりそういうことも多々あったって事やね。
けれど岡本さんのすごいところは
『もう自分はダメだ。こんなに失敗してたらカメラマンとしてはもう無理だ』
ってとこに行く前に、きちんと自分で消化できている所かな。
その図太さが今の岡本さんの根幹かもしれないよね。
そこから月日流れて24歳くらいかな。
モード学園の講師の話がきた。
当時、浮き沈みが激しかったから、レギュラーの仕事はありがたくて即決。
そこで今の起業につながる出会いがあったんよ。
撮影会をしたときに「かっこいいですね!今まで撮っても見たまんまにしか撮れないって思っていたのに、こんな風に撮れるんですか!?」って話しかけてきた男子学生三人組(笑)
それから、モードで撮影するたびにアシスタントに来るようになって、
ある時に「自分もカメラやってて、撮ったんで見てもらえませんか?」って言ってきた子がいてさ、それがまぁまぁかっこよかったんだよね(笑)
だから、自分はほんと軽い気持ちで『自分、美容師するよりカメラマンのが向いてるんじゃないかな?』って冗談で言ったら、
「僕、本気でカメラマンになろうと思ってるんで、岡本さんのアシスタントさせてもらえませんか?」って。
先生にも伝えると「良いんじゃない?」ってなって、インターンシップも美容室に行かないで、俺んとこに来るってなって・・・
それが、今の陽平!
もしやとは思いましたが、ここで陽平さんとの出会いですか。
すごい人生の巡りあわせを感じるんですけど、やっぱりそこには大きな責任は感じてましたか?
ここで陽平と出会ってたんだよ。
その頃、ほかにもアシスタントはいたんだけど、自分のモード学園での教え子でもあり、自分が言った言葉での将来の選択ってこともあり、責任は感じてて。
学校の意向としても本来は100%美容業界に身を置いてもらうって選択がベストだったと思うけど、そこを反れさせた訳やん?
「一人前に育てやなあかんな」と。
それで彼が学生を終えて、いよいよって時に一緒にやろうかと。
そこで改めて「岡本卓也写真事務所」って屋号は独りよがりな気がして、「Plus be」って会社にした!
意味合いとしては、まぁ、響きがメインなんやけど、依頼してくれるクライアントとプラス何かを生み出すみたいな?(笑)
そんな中で岡本さんの後輩?弟子?の方たちに対する接し方とか意識している事ってありますか?
たとえば厳しい叱咤激励とかされたんですか?
けど、頑張ってたのは陽平に向けたクライアントを探すこと。
彼がコンスタントにできる仕事を取らないとって。
彼もそのチャンスを活かして、今となれば陽平さん売れっ子だしね(笑)
彼とは苦楽を共にしてきた仲。師弟関係はあるけど、兄弟みたいな、親子みたいな、ライバルみたいな・・・
こいつ、ちょっと上手くなってきたから焦るなーみたいな(笑)
プロへの始まりは岡本さんにとっては冗談で軽い気持ちだったけど、岡本さんが与えたきっかけで、彼は『その気』になった。
人は『その気』になることから始まるのかもしれないね。
ある意味、彼の潜在能力を引き出したのかもしれないね。
ここにきて聞きたい事が。
「岡本さんらしさ」ってのが何なのか?
自分のらしさって何!?
らしい生き方、らしい仕事みたいな・・・?
今日、色々話してみて過去をさかのぼり、改めて色々なターニングポイントがあったなと。
今後、どういう仕事をしたいか?ってとこでいくと、美容業界だけの仕事で行くのはどうか・・・って気持ちになっていた。
美容業界の仕事って基本的には個人でしょ?
どんな撮影がしたいかってなると、
自分の作品をより多くの人に見てもらえれば見てもらうほど、
嬉しいなって思う
美容の仕事やコンテストに入る写真をがんばって撮っても、なかなか一般の人に見てもらえる事が少ないよね。
業界の中では「あっ、この作品撮った人や。」って認知されるけど、一般の人には触れられない。
もっと一般の人に見てもらえる作品を撮る事が喜ばしい・・・
そんな事が頭にあるときに日本広告写真協を通して色々な幅の仕事との出会いがあったね。
それは、美容業界に特化していない仕事も含めて。
その中でどんなことを感じていましたか?
とりあえず初めはビビってたこともあった。
今までと違って撮影に関わる人がすごく多くなって。
カメラマンの意見で多くの人を動かしてしまう仕事もあって、
そこにはすさまじい緊張感がある。
大失敗だったこともあるしね。
そうなると業界問わず、自分の作品を色々な人に見てもらえる仕事ができ始めたって事ですね。
それで少しずつ自分の考え方が変わっていったかもしれない。
考え方というか、モチベーション・・・自分の器感?(笑)
広告の撮影って規模が大きくて、クライアントが数人いてて、アートディレクターとかもいてて、とにかくすごく多くの人や機材が入っていてピリピリした空気感がある。
今はそこにいてもビビらなくなった。
はじめは「俺、ここにいてて良いんかな?」って不安だらけだったけど。
幅広く仕事をやるようになってから、そこに向き合えるようになった。
カメラマンとしてきちんと意見を伝える勇気がいるけど、そこを言えるようになった。
カメラマンから見て照明をこうして欲しいとか、
モデルにはこうして欲しいとか、カメラマンが伝えるって勇気がいるけど、
できないことはできない、できるようにするにはこうしないといけないと、はっきり言えるようになった。
全てはカメラマンの責任だから。
そういうのを人が多くいる現場で学んだ。
広告の撮影はほんと色々な状況があって、その場で適した機材や技術や露出を探ってみたり(笑)
ほんと色々な撮影をしてきたよ!
圧倒的なスケールの大きさに歓喜な気持ちと感動で一杯です。
今後のビジョン
世界に発信していきたい
岡本氏の思い
『カメラマンって普通の人と感性が違わないとダメだと思う』
シャッターを押す行為ってのは、「いいな!」って瞬間だったり、「おっ!?」って何かを感じた時に押すわけでしょ?
何も感じていないままシャッターを押しても何も撮れない、人の心を動かす写真は撮れない。
だからモデルさんを撮るときは、常に目の前の人が「最高」だって気持ちで撮る。
だけども、その人にとっての最高の瞬間は人によって違うから、笑うことが良いのか悪いのか、その人の表情を常に感じるために、見事に細やかに指先で目の前の人を感じる事が求められる。
その繊細な感性を磨くにはニュートラルな生活をしていると感じられない気がする。と彼は言う。
彼は自分の感情のふり幅を敏感にするために時折、海外へ足を運ぶ。
その国の色、文化、空気、全てにおいての感動とわくわく感は恋愛と少し似ていると。
その恋愛のようなスパイスを海外の旅によって相手との意思疎通が取れない中で、様々な経験を通して生まれる驚きと発見は、身近に起きる些細な事への気付きに繋がる気がしていると彼は言う。
今後?そうやねーー
海外を見る事によって得られる日本の良さを世界に発信したいかな。
「俺、語ってるなー(笑)」
そう照れながらも彼の経験と培った想いと今後の志を惜しみなく伝えてくれる姿は、出会ったころと何一つ変わらない気取らない彼。
しかし、着実に自身のカメラマンとしての人生の足跡を世界に残す価値を創造している。
今後、彼のカメラの前に立つどんな被写体も、きっと輝き、あらゆる可能性を引き出された作品として新しく生まれる。
そんな世界を見せてくれる岡本氏の活躍を心から祈念しこの出会いに深く感謝したい。