今日は、少し理美容業界のお話を。。。
先日、以前から関心があったNPO法人 日本理美容師福祉の資格を取得しました。
今、日本は欧州同様 高齢化が進み 外出の出来ない心身障害者や高齢者が増加しています。
その時代性と分野に合わせて、適時適正な技術や知識や情報など職業能力の向上を図り、それに特化した、ビジネスや教育訓練が非常に重要視されています。
私自身も、今後 色々なビジネスのフィールドを広げるため 多方面にわたっての情報収集や勉強をしているので、研修期間は非常に充実しました。
そこで、改めて 現在の社会環境についても考えるきっかけになりました。
今、社会は福祉に対しても、ソーシャルサポートが色々な形で生み出されていますが、身近な地域や家族がその中で、どのように具体的に行動し、生きれるのか?が、まだまだ明確でなく、確立されていないのだ実感しました。
この数年は、社会保障や介護保険制度が見直され様々な改正がなされ 介護施設の多機能化は進んだものの、更には介護の質の確保がテーマになり、財源確保や持続可能な制度の再構築など新たな課題も出ています。
そんな社会環境などを踏まえて研修はスタートしました。
私が、まず研修で自分の至らなさを体感したのは、高齢者の身体機能を実体験した時でした。
関節の可動域が制限され、姿勢を保てない状態のまま目も耳も不自由になる体験をします。
1歩1歩 ただ前に歩くにも時間はかかり、その疲れはひどく、ぼやけた視界の先と聞こえずらい周りの声や音に、次は何が起こるか分からない恐怖感が沸いてきます。
自分が、なってみて分かることや置かれてみないと分からない心境は確かにありますが、これほどまでとは。。という衝撃に近い気付きがありました。
高齢者の目の見え方や聞こえ方にも、想像とは大きくギャップがあり、自分がサロンで迎えていた御高齢のお客様の顔が一人一人浮かび、もっと早くに私が勉強していれば。。
「行き届く対応が出来ていなかった。。。」と悔やむ気持ちで一杯になりました。
福祉理美容師として働く、リアルな現場での声を聞きながら、浮かぶのは祖母の顔でした。
まだ、学生だった私は認知症になった祖母にも、毎日介護に奮闘していた母にも何の援助も出来ないまま、祖母は亡くなりました。
ですが、母を自分の娘だという事を忘れた祖母の毎日は、私の頭に鮮明に残っています。
それほど、介護の現実は厳しく衝撃的で深く刻まれてしまう過酷さなのです。
今でも祖母のお世話をする母の小さな背中や涙を流しながら祖母に話しかける母の顔を忘れる事が出来ません。
今、こうして福祉理美容師としてどうあるべきかを学べば学ぶ程、過去の自分の無力さと、無関心さに直面し心が痛む事は沢山ありましたが、このきっかけがなければ、また私は無力のままだったと思います。
この研修では、座学はもちろん。
寝たきりの方や、車イスの方へのシャンプーの仕方や、ボディメカニクスを踏まえた介護や残存機能を把握して行う援助なども積極的に学び練習しました。
研修の中で講師の方が伝えてくれた言葉が非常に心に残っています。
「理美容師は、命を繋ぐ仕事です」
それは、ある事例を元に話してくださいました。
一人暮らしの高齢者の少し気難しいおじいさん。
その方は、筋肉が硬直し御自分で自由に繊細に手足が動かせない方でした。
頻繁にヒゲ剃りだけを頼まれる月日が過ぎ、少し心を許しご自分の事を話されたとき。
口元のヒゲは頻繁に剃ってもらわないと、ヒゲに 納豆がついて、ご飯が食べれなくなるんだと。
その方は、納豆を毎日食べるのが日課でした。
「だから 死ぬまで、あんたにヒゲ剃りに来てもらわなきゃご飯が食べれなくて困る」と言われたそうです。
食べるために、美容を必要とする。
この観点での立ち位置でも理美容師として存在する価値に改めて気付きました。
植物人間の方には、耳の機能は残されているという前提で、声をかけながら 笑いかけながら、伸び続ける毛を切る。
末期ガンの方を自宅でケアするご家族の出来る美容技術全てをしてくださいと切に要望された際のプロとしての選択と想い。
ターミナルケアと福祉理美容はもはや、切り離せないものなのだと痛感。
この領域で理美容師の仕事している方のお話は、今までの 私の美容師としての仕事観とは、また、別の意味で熱くじんわりと込み上げるものがあるのを感じました。
医療と美容が交わり綺麗事だけでなく、命を預かる現場の中で奮闘される方々に改めて敬意と、そしてわたしたち、理美容師の持つ無限の可能性に誇りを感じたこの時間は私の中で大きな財産になるはずです。
何から出来るか、まだまだ未知ですがこの学びを活かして 理美容師の可能性を高め、必ず世界の人に役立つ仕事に繋げます。
貴重な体験や知識や技術をご指導頂いた先生方や新たに出会えた志高い 受講生の皆様に心からの感謝を☺